氏のCG展「仏教回廊」は、各マスコミが「現代の仏画」として注目する反面、僧侶達の間では2種類の物議を醸したと言って過言でない。
その一つは、本来礼拝の対象であるべき仏像・仏画を単なるオブジェとして扱っているのではないか?という類の物議である。それに対し、彼は剥げ落ちている色であるとか、薄くなった線に関しては若干の補正をしたが、仏像本体をデフォルメするような不遜な加工の仕方はしていないという返答で物議を治めようとしたようである。
二つ目は、物議と言うほどではないモノの、彼のCG作品に見られる装飾の「意味」を問うという類の質問である。曰く背景に配された球体の意味は?その数の意味は?色の意味は?と。其れはおよそ彼が予測しなかった質問責めであったといってもイイ。
彼はその作品に見られる大胆さからは想像が付かないくらいに生真面目である。当然彼は前の2点にごく生真面目に答えようとした。 しかし、実は私は其れは無用のことであると考えている。
彼と共に写真を学んだのは既に30年以上前になる。 それまで「写真技術論」や情緒的な「写真批評」は存在したが、未だ日本に学問的鑑賞に堪えうる「写真芸術論」が存在しなかった頃、故重森弘庵氏はまさしく「写真芸術論」という著作をひっさげて、颯爽と写真評論界にデビューをされた。そしてその考え方に基づいて優秀な写真家を育てるべく、一つの学校を設立された。我々が学んだのはそういう時期であった。それ故その学校は今のような専門学校とは違って実にユニークな連中が幅広い年齢層で集まってきていた。
しかしその学校の設立者が最も注目されている新進の評論家であるという関係からか、僅かに我々には理論が先行するという傾向があったかも知れない。
そんな中でおよそ自分のペースを崩すことの無かったのが八木その人である。
当時我々の間では「言語的発想」と「映像的発想」という言葉が飛び交っていた。つまり映像の世界に身を置きながら、未だ映像文化が未発達であったその時代、多くの者は発想そのものが言語的であり、その映像作品までも全て言語で分析してしまわないと気がすまないと云う傾向の中にあったようである。
そのような傾向の中では、彼の作品は一種の異端児であった。 しかし確かな制作衝動があって作られた彼の作品は、我々仲間の誰よりも早く世間の認めるところとなった。つまり彼はその頃から既に映像的発想の出きる人だったのであろう。
今彼はその頃の現実を思い出すべきである。人がいちいち聞いて納得する言葉など準備する必要はないのである。彼の作品はその作品自体が何よりも雄弁である。
彼が持っている断片的な宇宙というモノに対するイメージ(一部の専門家以外に宇宙というモノに対して明確なイメージを持ったモノは多くいないであろう・・・彼もその一人である)・・・何故かその中にかの仏像群を配してみたくなった。優れた技術を駆使して、彼は自分が納得するまで色を加え、オブジェを配し或いは光を射してみた。
彼は信仰心の故にそれらの仏像をデフォルメしなかったわけではない。如何に何をイメージしようとも、その仏像群が彼の加工を拒否したのである。それこそがまさに礼拝の対象として長く存在し続けた仏像群の強みでもあった。
彼の類い希な感性と技術は、誰も想像しなかった、そして何となく宇宙の神秘を見せてくれるような空間を創り出し、その中で見事にその仏像が礼拝され続けたワケを見せてくれたのである。
物議を醸した僧侶達は、仏像を伝統的な形式の中で礼拝させなければならないと頑なに考える人達である。しかし考えなければならない。その仏像群の真の力が彼のCGによって再認識できたのである。そして其れは伝統的な礼拝の形式というモノに疎遠である人達にも仏縁を生じさせたのである。
彼の作品が写真芸術の世界でも歴史的な偉業であると同時に、仏教の側でも宗教活動の在り方を問いかけてくるという意味で、注目すべき出来事であるような気がして成らない。 |